レコードのある時間

Life

私はレコードが好きだ。
正確に言うと、レコードが奏でる音が好きだ。

CDは音が鋭すぎて、鼓膜に刺さってくるような感じがする。
カセットテープなど、その存在を知っている世代のほうが少なくなってきている。

もちろん、今の時代は便利だ。
スマホを開けば、聴きたい曲はすぐに見つかる。検索して、再生ボタンを押せば、数秒後には音楽が流れ出す。

それでも、私はレコードの音に惹かれてしまう。

レコードの音は、少し丸い。
高音が耳に刺さらず、低音も必要以上に主張しない。音がまっすぐ耳に届くというより、部屋の中にゆっくり広がっていく感じがある。

ボーカルも近い。
スピーカーの向こう側ではなく、少し離れた椅子に腰かけて歌っているように感じることがある。

もちろん、これは気のせいかもしれない。
けれど、聴いている側にとって大事なのは、正確さだけではない。

レコードには、ノイズがある。
針を落とすと、音楽が始まる前に、かすかに「サーッ」という音がする。盤によっては、「プチッ」と小さな音が入ることもある。

普通に考えれば、それは欠点だ。
雑音であり、不完全さであり、現代のデジタル音源なら取り除かれるものだ。

でも私は、そのノイズが嫌いではない。

むしろ、そのノイズがあることで、音楽が現実の部屋の中へ降りてくるような気がする。完全に磨かれた音ではなく、少し傷があり、少し揺らぎがある音。

それが妙に心地いい。

レコードを聴くには、少し手間がかかる。

ジャケットから盤を取り出す。
ターンテーブルに置く。
針を落とす。
そして、音楽が始まるまでの数秒を待つ。

この数秒がいい。

スマホで音楽を聴くときには、こういう時間がほとんどない。曲名を探し、再生し、気に入らなければすぐに次へ飛ばす。便利ではある。だが、便利すぎる。

レコードは、こちらに少しだけ待つことを求めてくる。
その待つ時間の中で、こちらの心も音楽を聴く準備を始める。

音楽は、ただ流れてくるものではなくなる。
こちらから迎えに行くものになる。

レコードは、ながら聴きにもあまり向いていない。
片面が終われば、盤を裏返さなければならない。アルバムを途中で投げ出すこともできるが、少し面倒だ。

その面倒さが、逆にいい。

サブスクでは、曲を簡単に飛ばせる。
気分に合わなければ次。
イントロが長ければ次。
少し退屈なら次。

そうしているうちに、音楽を聴いているのではなく、音楽を選び続けているだけになることがある。

レコードは違う。
A面を聴く。
少し休む。
B面を聴く。

その順番には、作った人の意図がある。
一曲目から最後の曲まで、ひとつの流れとして置かれている。

レコードを聴いていると、曲単位ではなく、アルバム単位で音楽に向き合うことになる。
私はその古さが好きだ。

ジャケットの存在も大きい。

レコードのジャケットは、手に取ると大きい。
CDの小さなケースや、スマホ画面のサムネイルとは違う。そこには、写真や絵や文字が、作品の一部としてしっかり存在している。

音楽を聴く前に、ジャケットを見る。
裏面の曲名を見る。
そのアルバムが作られた時代の空気を、少しだけ想像する。

そういう時間も、音楽の一部だと思う。

レコード棚は、ただの収納ではない。
その人がどんな夜を過ごしてきたかを、黙って語る小さな書庫のようなものだ。

レコードが特別なのは、音が古いからではない。
音楽との距離を、少しだけ人間らしいところに戻してくれるからだと思う。

今の時代は、何もかもが速い。
連絡はすぐに届き、情報はすぐに更新される。音楽も映画も本も、次々におすすめされる。

その中で、レコードは遅い。

針を落とさなければ鳴らない。
面を返さなければ続かない。
埃があればノイズになる。

けれど、その遅さや不完全さが、妙に落ち着く。

完璧ではないものを、完璧ではないまま受け入れる。
少し面倒なものに、少し時間を使う。
効率ではなく、味わうことを優先する。

レコードを聴く時間には、そういう静けさがある。

だから私は、今でもレコードが好きだ。

便利だからではない。
音が完璧だからでもない。

むしろ、不便で、不完全で、少し扱いに気を遣うからこそ、そばに置いておきたくなる。

針を落とす。
小さなノイズが鳴る。
少し遅れて、音楽が始まる。

その瞬間、部屋の空気が少し変わる。

レコードは、過去の遺物ではない。
速くなりすぎた今の時代に、もう一度ゆっくり呼吸するための道具なのだと思う。

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