えっ、この席かい?
ああ、この席なら空いとるよ。
誰もこんなじいさんとは向かい合って座りたくねえだろうからな。
あんた、若いのに勇気があるのお。
それとも、怖いもの知らずか。
たぶん、後者だろうな。。
あんたからは警戒心のかけらも感じられん。
それが若さのいいところじゃが、裏を返せば。。
なあ、にいちゃん。
あんたにひとつ、いいことを教えてやろう。
この世の中には悪いことを考えているやつらがわんさといる。
やつらは「カモ」にできる連中を常に探しとるよ。
あんたはこれからいろいろな種類の人間と交わることじゃろう。
だが、そいつを信じる前にまずは疑ってかかったほうがいい。
無条件に信じていい人間なんて、この世に一握りしかおらんじゃろう。
なあ、この手を見てみなよ。
しわくちゃだろう。
だてにこんなにしわくちゃになるまで生きとらんからの。
なぜ、急にそんなことを言いだすんだって?
わしはその犠牲者だからじゃよ。
あんたを見ていると昔のわしをみているようじゃ。
純粋で疑うことを知らない。
わしは19の時にこのロンドンにやってきたんじゃが、
そのころはすべてが輝いておったよ。
日の光を受けた新緑の街路樹。
真っ赤な車体で走り抜けるバス。
あわただしい人の流れ。
すべてが新鮮でそれらを見ているだけで、胸がおどるような気がしたものじゃよ。
ただ、人は働いて稼いで生きていかなきゃならねえ。
なんでもやったよ。
ビルの清掃。
土木作業員。
バーテンダー。
あれは確か、バーテンダーをやっていた38か、39の時じゃった。
ちょうど、そんな底辺の仕事ばかりをしていることに嫌気がさし始めたころじゃった。
今思えば、あの男は前々からわしに目をつけていたんじゃろう。
「新しい店を持つ気はないか?」とわしに近づいてきよった。
新しい店では、一介のバーテンダーではなく、店長として店を切り盛りできるということじゃった。
わしはうれしすぎて、周りが見えんようになっておった。
いまのわしなら、難なくかわせるところじゃが、そのころのわしは40を手前にして、
とにかく目に見える店長という実績がほしかった。
男と話し合って、まずは500万ずつ出しあって、新しい店の設備を整えようということになった。
これが疑わないことの怖さじゃな。
やつはわしの500万を持って、行方知れずになってしまったよ。。
馬鹿なことをしたと自分自身を責めに責めた。
だが、いくら責めても500万は返ってこない。
それは将来の結婚のためにとっておいた500万じゃった。
その時に付き合っていた女には、愛想をつかされてそれっきりじゃ。
だからとは言いたくないが、わしはいまだに独身じゃよ。
いかん。若い人をみるとすぐに長話をしてしまうのが、わしの悪い癖じゃ。
どうしたんじゃ。浮かない顔をして。。
しけた話で申し訳なかったの。
よし、次はわしの今までで一番楽しかった話をしてやるから。
あれはわしが30代のころじゃった。。。
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